ずっと雨。じゃーじゃー雨。
一瞬雨脚が弱くなっても、それはダマシだ。歩きだすとすぐに雨量は増す。雨粒が大きくなる。くそぅ。靴が、ズボンがひたひたに濡れた。
せめて地元駅から自宅までやんでください。それだけを願う。帰りの電車にて。
ずっと雨。じゃーじゃー雨。
一瞬雨脚が弱くなっても、それはダマシだ。歩きだすとすぐに雨量は増す。雨粒が大きくなる。くそぅ。靴が、ズボンがひたひたに濡れた。
せめて地元駅から自宅までやんでください。それだけを願う。帰りの電車にて。
いつもない。
なにもない。
あるのは
自分のこれまでの生き方への反省。
ほよほよーんとあたまにうかんできたことを書きます。
出生率がさがったと言いますが、日本はおとなや老人を切り捨てているので、これから生まれ育ちゆく子が幸せでいられるのかが不安で踏みきれない人が多くいるからではないでしょうか。
そして切られたおとな自身が子供を育てられるような環境にないのかもしれません。たとえば仕事もいまいち、おカネもあんまりない、親の介護が喫緊の課題です、など、十人十色の状況のなかにいて、子孫についてはちょっと待ち状態にいるのかもしれません。
わたしは子どもがいません。
わたしの新婚時代は「ママ公園デビュー」という時代の流れにおびえ(勝手におびえていただけ)、住宅ローンを払いながら子どもの学費は払えるのだろうかと不安になり、結婚したら通いにくい支店に異動になって働くことが面倒くさくなってポイと辞めてしまって、ああ、時代を語るよりもわたしの考えない行動が悪いのですね。
オットは子どもが欲しかったみたい。でもキミの転職の多さも理由のひとつではあるのですよ。
わたしの不甲斐なさを国におしつけるような文章になってしまいましたな。
いや、ちがう。
まだ書きたいこと、考えたいことはある。けど、夕ごはんの用意を始めます。
とりあえず中小零細企業を大切にしてください。
利用者さんが予定よりはるかに少なくなる日がある。
シフトは当初の利用者数で決めているため、そのような日にはパートさんの勤務時間を調整させてもらうことがある。ほんとうはそんなことをしてはいけない。わかっているもののスタッフが多すぎるのは経営の目線で考えると困るし、現場でもお願いする仕事がない。
「今日の午後の勤務は申し訳ないですがお休みにしていただきたいのです、考えていた台数よりも送迎車が少なくてすみそうなので」と伝えるのも心苦しい。けれど言わなくてはならない。
雇用契約のときにかならず「緊急時、例えば大雪が降ったり、利用者さんが極端に少なくなった時に勤務をキャンセルさせていただくことはあります。申し訳ありません…」と説明はしているけれど、いざその時になると嫌な顔をされたり、がっかりした声で返事をされることはある。みんな生きるために働いているのに、月の稼ぎが予定より減ることを喜ぶはずがない。
利用者さんは「雨だから行きたくない」「寒いから」天候や気分を理由にキャンセルをする。平気なのだ。デイサービスの存続よりも、自分の生命の存続に重きをおくのはあたりまえである。
キャンセルの続出はデイの経営にとって死活問題だが、その日に休むことは利用者さんにとっても死活問題であり、パートさんにとっても急な勤務のキャンセルは死活問題だ。
win win win になるような経営体系はできないのかなぁ。かいしゃ、はたらくひと、利用者さん、三方一両得になるようなビジネスができないだろうか。
大企業や大病院が経営するデイサービスは基本的に利用者さんがずっといられるような仕組みが作られていて、それぞれの施設は年老いて乗せられるレール上に配置されている。そのひとの最後までをビジネスにしている。セレモニーの会社もグループ会社なのかもしれない。来年度の介護報酬改正をみても、そんな大きいグループだけが生き残ればいいんだ、みたいな改正がされるように思う。(その改正についていくために必死でしごとしているのだが、わたしたちのデイの規模でどこまでイケるのか。わからないけれどやってみる)
この国で働いている人がみんな大企業にいるはずはなくて、大中小さまざまな会社で、それか一人で仕事をしていることを国は考えていないのだ。小さいところはもう店をたたみなさいと言いたいのだろう。
うちの会社はいくつかの業種やっていますが、最低賃金をあげるって勝手に国に決められちゃってたいへんな状況。
大企業に叩かれて叩かれて、中小は儲けは減って、大企業は満額回答で、中小の懐事情なんて知ったことじゃないのだね、日本にとって。
中小あっての大企業なんじゃないの?
日本はさみしいね。
わたしたちの老後もさみしいのかね。
なんか話がずれてるから、あとでなおそう。
今朝のしごとは金曜日のミーティング議事録を書くことからスタートしました。専用ノートに書きます。メモを見ながら、思い出しながら、のびのびとした字で簡潔にまとめました。自画自賛。
のびのびとした字で、とは、わたしには小さい字を書くことができないので、自ずとそうなります。
静かだったので集中することができました。
よし!!書き終わった。そのとき自分の気持ちがすっきりとして、落ち着いていることに気づきました。
気持ちいい。
字を書くってなんて気持ちがいいのでしょう。
誰にも話しかけられない静かな時間だったこともよかったのかもしれません。
なにかを考えながら、集中して、字を書く。それも静かな空間で。ああ、わたしの好きなものがそろっているではありませんか。文字、ペン、ノート、静寂。
今年は公私ともども、書く時間を確保できるようにすごしたいと思いました。心がしずまる時間を大切にしようと。
議事録はひと通り書きました。わたしが書き足すことはありません。他の内容は忘れてしまったからです。あとは他のスタッフに追加事項を書く時間をゆずります。
幸せな時間を過ごせますように。
わたしのブログ人生は、はてなブログから始まりました。あ、はてなダイアリーです。懐かしい響きがあります。
もう20年ほどになるでしょうか。はてなのサービスがめずらしかったのです。はてなダイアリー、はてなアンテナが楽しくてたまりませんでした。
いまと生活サイクルも違っていたので、帰宅して夕ごはんを作り、家事をして、パソコンにむかう時間がいっぱいありました。その頃は友だちにメールを送ることも楽しくて小さなできごとを面白く読んでもらえるようにいっしょうけんめい文章を書いていたものです。本もたくさん読んでいました。
生活のタイムスケジュールがその後大きく変わり、好きな人のブログはもちろん本も読めず、パソコンにゆっくり向き合う時間もなくなりました。
それからずいぶん長い年月が過ぎて、いま、わたしは書いています。久しぶりです。書いていると気持ちがいいので、まめに何かしら書いていこうっと。自己満足以外のなにものでもありませんが。
note というサービスもつかっています。
noteで書いた文章をはてなにのせることもあるかもしれません。そのままのせるか、改版をのせるかはわかりません。しばらくふらふらと読んだり書いたりしていこうと思います。
タイトルも「いろはの日々」に戻します。知っている人はいないでしょう。まずはもとに戻って書くことを始めてみます。
うちのデイサービス。
コロナ禍で来られなくなってしまった方がいる。
家族の方が心配している、持病が関係している、理由はいろいろある。
デイサービスでのお別れは、他のデイに行く人、施設に入る人、入院する人…。
二度と会えなくなってしまう人もいる。
その利用者さんはデイに来たかったのに持病のために主治医に利用を止められていた。
来月から来られるかな?みんなで話していたのだけれど、今朝亡くなった。
永遠のお別れ。
わたしたちに持病を治すことはできない。
デイサービスにいらしてくださった方に、どれだけ楽しい一日、気持ちの良い一日を過ごしていただけるか。
会いたかったよ。